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日本の臓器移植の歴史

日本の心臓移植の歴史

わが国では1968年の札幌医科大学でのいわゆる和田移植の後遺症で長らく脳死移植や心臓移植はタブー視されてきた。

世界ではサイクロスポリンの登場で急速に臓器移植が発展する中、我が国の心臓移植適応患者は海外に出かける以外移植の道は閉ざされたままであった。

1990年代になってわが国での脳死からの臓器移植を実現するために関係する学会が主導して準備を始めてきたが、脳死判定や臓器提供の仕組みを構築する上で社会的コンセンサスという問題が出てきた。

政府が特別立法で脳死と臓器移植の臨時調査会を発足させ、社会的議論があった後、最終答申が出されたのが1992年であった。その内容は、脳死を人の死とすることに概ね賛成し、臓器移植も容認するというものであった。これで脳死移植も進むかに見えたが、提供側を脳死判定で混乱させないためには、法律で脳死を人の死と認める必要が出てきた。国会議員による議員立法で移植法が提出されたのが1994年で、紆余曲折のあと1997年6月にやっと成立を見た。

その内容は、脳死は臓器移植の時に限って人の死とすること、本人の生前の書面による意思表示、家族の同意であった。年齢は、民法上の解釈から15歳以上とされた。

法律が実行され、臓器移植ネットワークが立ち上がって登録が開始されたのが同年10月であった。

その間、移植施設の選定が学会と行政で進められ、心臓移植施設は、東西1チームずつという考えで、東は東京女子医大、西は大阪大学と国立循環器病センターの合同チーム(二施設1チーム)で始まった。法律の下での臓器提供が実現したのは1999年2月末の高知赤十字病院での提供であった。心臓移植が大阪大学で、肝臓移植が信州大学で行われ、我が国で懸案であった脳死臓器移植の幕開となった。

臓器提供は厳しい法律や提供施設のしばりなどでなかなか進まず、年間5例前後であったが、最近になり年間10例を超えるようになった。脳死からの臓器提供は、2008年5月初めの段階で総数67件であり、心臓移植は52例に達している。心臓移植の詳細は別項にゆだねるが、これまで全体で死亡は2例のみであり、5年以降の生存率90%を超えており、非常に良好である。

実施施設は、当初の3施設から、東北大、埼玉医科大(現在中断されている)、東京大学、そして九州大学が加わっている。本邦での特徴は、補助人工心臓からのブリッジが80%と高率であり、かつ待機期間が平均で700日を超えるという、待機患者にとっては過酷な条件のもとで行われていることである。

参考資料
「命をつなぐ ―臓器移植―」 松田 暉著 大阪大学出版会 2001日本の心臓移植の歴史

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